はじめまして!
バスヤロっていいます。
ここでは、ブログ筆者 バスヤロ の自己紹介をしていきます。
- バスヤロって何者??
- なにやってるの?
- なんでバス釣りそんなに好きなの??
そんなことを書いています。
よかったら見ていってください🙇🏽
はじめに
筆者の基本情報
- ニックネーム:バスヤロ
- バス釣り大好き!
- 1996年2月29日生まれ(27歳)
- 兵庫県在住、佐賀県出身
- 今の仕事:WEBフリーランス
- 経歴:
公務員(県庁職員):新卒〜3年間
釣り具メーカー勤務:1年間
釣り具の企画・開発業務に携わる。
バス釣りが好き過ぎて、釣りを仕事にするために単身 兵庫県へ!
WEBフリーランス:現在2ヵ月目
好きなときに好きなだけ釣りをしたいという想いが強く、会社員を辞めた。。。
寝ても覚めても ブラックバスの事ばかり考えている ただの釣りキチです。(笑)
バス釣りについて
- 釣りのスタイルは オカッパリ(岸釣り)メイン
- スタンダードな釣りが得意
(スピナーベイト、バイブレーション、高比重ワームのノーシンカーリグ、テキサスリグ など) - 釣りは 平日
ほかの釣り人がいないときを狙って釣りに行く - 釣り場は 兵庫県の野池(東播野池メインで、ときたま淡路島野池も)
琵琶湖や関西のリザーバー(ダム)、川へ出掛けることもある。 - タックルは シマノ、ダイワ どっちも好き
ごちゃまぜです笑笑
最近のお気に入りはバンタムロッド 170M+ -G(シマノ)
釣り具 大好き
給料のほとんどが釣り具に替わっちゃってる時代もありました。。。
いつも生活はカツカツです(泣)
モットーは、
「何事も楽しいのが一番!今楽しむ!」
バスヤロの人生を深堀り!
ここからバスヤロの人生を深堀っていきます。
これまでのこと、そして、これからどう生きるのか?
改めて考えてみました。
幼少期
私は、真面目な両親、妹の4人家族の中で生まれ育ちました。
ごく一般的な幸せな家庭で、毎日遊ぶことだけ考えた恵まれた環境でした。
物心ついた頃から魚が好きで、よく図鑑で魚を観ていました。
一番最初の釣りは、小学3年生の時、友達の誘いで始めたフナ釣りです。
これまで図鑑や水槽で“観る”ことしかなかった魚でしたが、釣り糸を通して“命”を感じました。
この感触に私は衝撃を受けました。
ある日、小屋の奥底から釣り道具一式を見つけます。
家族に釣りをする人はいなかったので不思議に思っていましたが、亡くなったひいじいちゃんのモノだったことが分かりました。
私にも釣り好きの血が流れているのだと子供ながらに釣りに運命を感じました。
中学生時代
中学生になり自転車で遠出できるようになると、山の麓のため池へバス釣りに行くようになります。
当時の私はブラックバスという魚をリアルに見たことがなく、図鑑上の幻の魚だと思っていました。
そのため、一目見てみたいとの思いで暇さえあれば釣りへ出掛けていました。
中学時代にバスを釣り上げることはできませんでしたが、
私のバス釣り原体験となっている釣行があります。
その時も釣れたらいいなくらいの感じで釣りをしていました。
何の気なしに水際すれすれにシャッドを巻いていると、いきなりルアーの背後に引き波が立ち、デカバスが食いついてきました!
初バイトです!!
そのバイトの感覚と魚の強烈な引きに、私はアドレナリン全開です。
結局バスはジャンプバレしてしまいキャッチできませんでしたが、あの巨体と激しい水しぶきは今でも脳裏に焼き付いています。
手足が震える程の大興奮で、帰宅後もあのシーンを思い返しては「早くまた釣りに行きたい!」と夜も眠れなくなっていました。
高校・予備校時代
高校時代は、勉強と部活に手いっぱいで釣りから離れていました。
大学受験に失敗し1年間予備校へ通います。
ここでバス釣り好きな友人Yと出会い、またバス釣りの楽しさを思い出します。
原付免許を取得し、休日は友人Yと2人でため池へバス釣りに行っていました。
マジメに勉強しろよって感じですが(笑)
偶然にも彼とは志望校と学科も同じで、2人とも無事合格することができました。
大学時代
自動車免許を取得し、時間もたくさんあったのでバス釣りに行きまくります(笑)。
土日はもちろんのこと、平日でも授業の空き時間を狙って釣りに行くほど、釣りに熱中していました。
ちょうどこの頃、「釣りよか」も有名になり始めていました。
「釣りよか」と自分を重ねて、仲間とワイワイ釣りをして、
「来週はあそこに行ってみよう!」
「今度出る新しいルアーめっちゃ良さそう!あの場所にぴったり!」
「あの竿、あのリール、カッコイイ!欲しいなー。バイトがんばろ!」
と釣りの話で盛り上がりました。
仲間と夢中で釣りをした、とても幸せな時代でした。
師匠との出会い
大学4年生のとき、私にとってこれまた大きな出会いがありました。
バス釣りの師匠、Fさんとの出会いです。
Fさんはバス釣り歴20年、かなりのバス釣り名人です。
Fさんとは釣り場でよく会ううちに意気投合し、一緒に釣りをするようになりました。
それまでの私は、幼い頃から釣りをしていたこともあり、多少なりとも自分の釣りの腕に自信を持っていました。
しかし、Fさんと話をし、Fさんの釣りを隣で見る中で、私は技術も知識もまだまだ未熟で、まだまだ上には上がいるのだと思い知らされました。
探求の道に終わりはないのだと感じました。
Fさんからは、投げ方やライン捌きなどの技術面から、狙って釣る考え方まで、バス釣りのさらなる奥深いおもしろさを教わりました。
魚が釣れた時には、
「風、光量、水流などの変化のタイミングであったか?」
「バスがどっちから追ってきて、どこへルアーを追い込んでバイトしたか?」
「バイト後はどっちへ泳いでいったか?」
などを詳細に考察されていました。
釣れたことを喜ぶだけではなく、釣れた時こそ釣れていない時以上に、考察の重要性を教わりました。
まだまだ教わったことはたくさんあるので、後々コラムにしていきたいと思います。
新社会人:公務員になる(地元で穏やかにバス釣りを楽しむ生活を夢見て)
地元でのバス釣りが好き過ぎて、
「ずっと地元でバス釣りを楽しめたら、それだけでいい。」と考え、
県外への転勤がなく安定感もある公務員(県庁職員)になりました。
実際にやってみてから分かったのですが、公務員の仕事は思った以上に大変なものでした。
業務の難易度は高く、量も多いです。(先輩方の時代からしたらかなり少なくなっているらしいので、恐縮ですが、、、)
レベルの高い人たちに囲まれて、必死に食らいつこうと毎日残業し頑張りました。
普通に働いていると休みは土日祝なので、思っていたほど釣りに行く時間を取ることができません。
それに、休みの日でも疲れ切っていて釣りしていても心から楽しめるような心身の余裕がありませんでした。
こんな生活をしたかったわけではないなと、だんだん不満が募っていきました。
ですが、とても幸いなことに、仕事で関わる人には大変恵まれました。
同僚、先輩、上司、関わりのあった方々みなさん素晴らしくて、こんなふうになりたい!と思わせていただいた方たちばかりでした。
たくさん失敗し、プレッシャーに押しつぶされそうになったこともありましたが、仲間に支えられ何とかやってこれました。
関わってくださったみなさん全員に感謝しています。
仕事では、新型コロナウイルス対応に携わらせてもらい、
宿泊療養施設(ホテル)や自宅療養支援センターの運営、療養者の健康管理などを行いました。
まだ仕組みが立ち上がった初期段階だったこともあり、日々トラブルの連続でした。
嫌でも新しいことにチャレンジしていかなければならない環境の中で、
先の見えない不安や、自分には荷が重いとのプレッシャーに何度も押し潰されそうになったこともありました。
ですが、ここでも人に助けられます。
この時の上司の方が、口癖のように「日々前進」と言われていました。
「毎日いろんなトラブルが起こるけど、ダメだと落ち込む必要は全然ない。
目の前の問題をひとつずつ丁寧に潰していけば、それでいい。
明日は今日より良くなっているし、それが毎日続いていく。」
この人との出会いから、問題事に対する私の捉え方が変わりました。
それまで、問題事に対してネガティブなイメージを持っていましたが、
今では、問題事は成長するための試練なのだとポジティブに捉えています。
それからは、私も常に「日々前進!」を胸に自信を持って楽しく生きています!
公務員の仕事を通して、私は自分に自信がつきました。
「やり始めれば、意外と何でもできる!」
「助けてくれる人は、いつでもどこにでもいてくれる。」
と思えるようになり、仕事がとても楽しくなりました。
26歳:新たな冒険へ(公務員 → 釣具メーカーへ)
そして、このまま公務員という仕事を続けていろんな分野の仕事をする中で、日々成長を感じて楽しくやっていけそうだなとは思ったのですが、
さらなる楽しいことであり、やりたいことでもある「釣り」というものがずっと心の中にありました。
そして、公務員を辞めて釣りを仕事にしよう!と決心します。
「釣りを仕事にすれば、幸せの最高到達地点に行けそう!」
「釣りを仕事にすれば、新たな釣り仲間にもたくさん出会えそう!」
「いろんな人と一緒に釣りをすることで、さらなる釣りのおもしろさに気付けるかも!」
と考え、
釣りに人生の全てを捧げようと本気で思います。
公務員の仕事も充実していてとても楽しかったのですが、
新卒で入庁した県庁を3年で退職し、
社会人4年目にして、故郷、家族、仲間の元を離れて、
全てが新しい環境の中で釣具メーカーの仕事に就きました。
自分で道を切り開いていく冒険が始まった気がしました!
釣り具メーカーでの仕事(壁にぶつかる)
とても運のいいことに、釣り業界で何の経験も実績もない私でしたが、
釣り具の企画・開発の仕事に携わるチャンスをいただきました。
仕事内容は、新しい釣り具の事を考えたり、試作品を持って釣りに行ったり、パソコンで釣り具の設計をしたりと、毎日釣り漬けです。
私生活においても、全く知らない土地での初めての一人暮らしで大変ではありましたが、それ以上に楽しいことが多かったです。
同世代の釣り好きの仲間がたくさんでき、一緒にいろんなところに遠出して釣りしたり、寮で夜遅くまで釣りの話をしたりと、公務員時代に思い描いていた夢のような生活を手に入れることができました。
仕事も私生活もおおむねうまく行っていましたが、一部違和感を感じているところもありました。
最初は気のせいだろうと軽く見て見ぬふりをしていましたが、違和感はだんだんと大きくなっていきます。
その違和感とは、➀職場の雰囲気 と ➁バス釣りがあまりできない現実 の2点です。
➀職場の雰囲気について。
担当部署に行った時にすぐに感じたことが、その部署の人がみんなキラキラしてないな ということです。
納期とか数字とかに縛られてのびのび仕事できていないのかな、みんな何かに押し潰されそうになっているような重い空気を感じたことを今でも覚えています。
諦め、妥協、現状維持 のようなマイナス気質の方ばかりだなと思いました。
➁バス釣りがあまりできない現実
仕事内容は釣りに関することばかりですが、バス釣りに関わることはめったにありませんでした。
海釣りの釣り具の仕事が多く、会社としてもよく売れている海釣りのジャンルに力を注がなければいけませんので、こればかりは仕方のないことなのかもしれません、釣り業界で大きく見るとバス釣り業界は衰退の一方だと考えられていますので。
私自身は、バス釣りはこれからどんなに衰退していったとしても完全になくなることはないと思っていて、なくならない限り何か自分がやれること・チャンスはどこかにあるはずなので、ここにも悶々としていました。
この仕事が本当に自分がやりたかったことなのだろうか、
この生活をこれからずっと続けて本当に幸せになれるのかな、
結局やりたいことはやれてない。
釣り具メーカーの仕事とはいっても、中身はただのサラリーマン。
公務員時代と本質的には何も変わっていない。
と、心から一番やりたいことは別にあるんじゃないかと悶々としていました。
このままここにいたら、知らず知らずのうちにまわりに流されて腐ってしまう。
私が心から思っている、バス釣りは素晴らしい!という気持ちが消えてしまいそうだと危機感も覚えました。
また道を模索し始めます。
WEBに可能性を感じる
会社の仕事の中には、自分が本当にやりたい”バス釣り”に関わることを見出すことができませんでした。
それならもう一度別の道を模索するしかないなと考えました。
バス釣りに関わる仕事でいうと、
・バス釣りに強いルアーメーカーで仕事をする
・自分でルアーを作って販売
・バス釣りガイドになる
・バス釣りユーチューバー
などが思い当たりましたが、その中で、WEBに可能性を見出します。
バス釣りブログを書くことで、自分の中のバス釣りをきれいに整理することもできて、自分のバス釣りも楽しめて、全国のいろんな釣り人とも繋がることができるかもしれないと考えました。
それにWEBで収入を得ることができれば、場所にも時間にも縛られずに、好きな時に好きなところへ釣りに行くこともできるようになるのではないかなと思いました。
いいことづくしです。
最初は独学で地道にブログ始めようとはしたのですが、すぐに躓きました。
何も知らない初心者にとってWEBは躓きどころがたくさんあり、力の入れどころ、メリハリの付け方も分からないので、上手く軌道に乗せるのにはかなり骨が折れます。
だったらその道のプロに教わって、最速で正しいやり方を身に付けるしかないなと思い、8月頃(釣り具メーカーへの転職から約半年)に、WEBマーケティングスクールへ入会します。
私が入会したスクールでは、ブログに関することだけではなく、WEBマーケに関するスキルをオールインワンで全てを学ぶことができます。ブログライティングだけ、デザインだけ、動画編集だけなど何か一つだけできるようになっても、本当にWEBを使いこなして自立することはできません。
いろんなことを広くできるようになってスキルの掛け合わせで、WEBは使いこなせるようになります。
27歳:一番欲しいものを取りに行こうよ!(釣具メーカー → WEBの世界へ、今ココ!)
現在、WEBマーケのスクールに入会して半年くらいになります。
スクールに入会してからの半年間は毎日寝らずにWEBを頑張っていますが、
楽しいことなので無理なく継続できています。いい感じです。
休日はどうしてもバス釣りには行きたいですし、平日は会社での仕事もあるのでどうしても夜寝なくするしかありません。
まあ、人生を広く見たときにこんな期間もあっていいか、これから羽ばたくための修業期間だと捉えています。
毎日3〜4時間睡眠で、夜中はブログを書いたりWEBの勉強をしたりし続けているところです。
おかげで半年たった今では、ライティングの基礎やWEBサイトの立ち上げ方くらいは身に付けることができました。
1年間の釣り具メーカーでの商品企画・開発の仕事では、
釣り針の設計思想/CADでの図面作成(2D、3Dともに)/鉛鋳造/ルアー作り/塗装
半年間のWEBマーケスクールでは、
WEBサイト構築/ブログライティング/動画編集
を身に付けることができました。(まだまだ浅すぎますが。。。)
力は付けたので、ここから、自分が一番欲しいもの=”バス釣りを楽しんで生きていく”を自分で取りに行くときが来たのかなと思っています。
釣り具メーカーへの転職から1年が経ち、本当に自分がやりたいことを突き詰めるために釣具メーカーも退職することを決意しました。
これから先どうなるかは分かりません。
もしかしたら今の環境が一番よくて、これからイバラの道を歩いて地獄を見ることになるのかもしれません。。。
ただ、私は自分の人生やりたいようにやって行き着く先が間違っているはずないと信じているので、
これからも、バス釣り×WEBの道を模索し続けていきます。
最後に
釣りから人生を教わっている
私はバス釣りのおかげで、本当に人生が豊かになりました。
小さい頃は受け身で捉えていた人生が、バス釣りにハマって深く考えていくうちに、いつの間にか自分で人生を切り拓いていくぞ!という思考に変わっていました。
釣りを通して、人生がうまくいくような学びもたくさんあります。
自然や魚は自分の思い通りにはなりません。
予報通りにならない天気や、前日までたくさんいた魚が翌日には全くいなかったりと、
自然は思い通りにならないことだらけです。
そのため、様々な場面に対応できるように釣り方や道具を可能な限り想定して準備し、自分が相手に合わせることが大事です。
これは釣り以外の場面でも同じで、普段の生活や仕事の中でも、自分が相手にあわせることで物事はうまく進みますよね。
また、なぜ予想通りにならなかったのか問い続けることで、
次第に周りより一歩先を歩けるようになっていくのだと思っています。
バス釣りが私の自信・軸・アンカーになっています。
世の中に振り回されずどっしりと前進していく人生の歩み方を”釣り”から教わりました。
釣りでみんなが幸せになれる
「1時間、幸せになりたかったら
酒を飲みなさい。
3日間、幸せになりたかったら
結婚しなさい。
8日間、幸せになりたかったら
豚を殺して食べなさい。
永遠に、幸せになりたかったら
釣りを覚えなさい。」
中国には、このような古い諺があります。
釣人の皆さんなら、聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
「永遠の幸せは釣りの中にある。」私も心からそう感じています。
このブログでは、
筆者が師匠Fさんから教わった、
・バス釣りのおもしろさ
・仲間と釣りする楽しさ
・釣れた時の手足が震える程の感動
・釣りから学んだ人生観
を、見てくださる皆様と共有していきます。
少し恐れ多いですが、このブログを通して、
みなさんの生活の中にほんの少しでも楽しみを生み出すことができるのであれば、
筆者自身、これほど幸せなことはないのではないかと考えたりしています。
そしていつの日か、このブログを見てくださって繋がることができた全国の釣り仲間のところへ行って、一緒にバス釣りすることができたら楽しそうだなとも思っています。
ぜひ全国いろんなところで一緒にバス釣りさせてください!
以上、筆者の自己紹介、ブログコンセプトの話でした。
つたない文章にもかかわらず、最後までご覧いただき本当にありがとうございました。